ちょっと一言

「文学と知的財産−やはり人の世は住みにくい−」6月号編集後記より

 文筆家は冒頭部に心血を注ぐという。プロですらその有様だから素人には何と書けばよいのか路頭に迷うばかりである。そうこうしている内にある言葉が頭をよぎった。 「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

 確かに気の利いたことを書こうとすれば気取っていると言われそうだし、思うままに書けば日記の如きになり兼ねない。それでも意を決し主義主張を述べれば独善と叩かれそうだ。

 それでは「つれづれなるまゝに、日ぐらしキーボードにむかひて」書くのはどうか。おや、紙面の向こうで徒然草の
模倣だと非難の声が。しかしそれはどうだろう。書名が出てくるようなら、パロディであると解するべきだ。

 パロディなら問題ないのか。フランスでは違法とならず、米国ではフェア・ユースかどうかで左右されるという。では日本ではどうか。問題は「表現形式上の本質的な特徴を直接感得」できるかだと言う。それに著作者の意に反する変更等であるかどうかであり、意に反すれば著作者が死去しても遺族が法的手段をとれると言う。やはり知に働けば角が立ちそうだ。

 それなら情はどうか。情といえば浄瑠璃、浄瑠璃といえば近松門左衛門。不義理やご法度は百も承知、それでも一線を越すのが男女の情け。とはいえ情に棹させば流れ着くところは死の果てだ。一途な思いもご政道にはかなわない。特許訴訟の判決文で苦しい台所事情に免じて減刑するとあったなど…。おっとまたもや角が。

 ところで白馬は馬でないという言葉をご存じであろうか。この命題は中国の春秋戦国時代に活躍した諸子百家の一派である名家の残した命題である。名家は今日でいう論理学の専門家である。ただ残念なことに焚書坑儒でその書籍はなくなり、なぜ白馬が馬でないのかその論理は不明とのこと。

 ここで、そんな古のくだらない理屈はどうでもいいと思った方もおられよう。では現代はどうか。ABは一連称呼するので、ABはAと混同を生じないと見聞きする。科学技術は飛躍的に進歩し、社会制度も大きく変貌したのに、一部では未だ白馬云々と同じ次元。国を相手に立ち回り。どう見ても意地っ張りだ。

 おっとまた野暮な話題に。これも後先考えず徒然なるままにキーを叩いたせいだ。読者諸氏に叱責されそう。
やはり人の世は住みにくい。

(M.M.)

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