ちょっと一言

「枕の論語」5月号編集後記より

 皆様それぞれに,日常生活の中にルーティンをお持ちではないかと思います。私は寝る前に「論語を読む」ということをルーティンとしております。論語は,2,500年ほど前に中国で記された孔子とその弟子たちとの会話録で,日本にも古くに伝来し,日本人の道徳や倫理感に大きく影響したものと考えられています。

 論語には,社会の中で人が生きていくうえで特に重要な在り方として「仁」という概念が出てきます。「仁」とは何かについて,孔子はある弟子に対しては,「自分がされて嫌なことは相手にもしないこと」だと,また他の弟子に対しては「礼の気持ちを大切にすること」だと教えています。また別の弟子には「慢心や欲望を抑制することは難しいが,それができたからと言って仁とは言えない」と言っています。

 孔子は「仁」について明確な定義のようなものは示していません。確かに人の生き方として重要なものを一言で定義できる訳ではありませんが,しかし「仁」というものが「形のない捉えどころのないもの」では,これまた自身の行動の規範として役立て難いのではないでしょうか。そこでいろんな論語の解説本を読んでみたのですが,その中で「仁とは他者を安心させる徳だ」と説明されているものがありました。

 人がどんなに知的でかつ潔白に生きても,それが単に個人の生き方に留まるものは「仁」ではなく,「仁」は他者との関わり合いの中で,相手に良い影響を及ぼすものだ,ということのようです。孔子は,人が人の集合体の中で生きていくうえで,相手の感情を理解し,相手への敬意を持ち,また相手との調和を保つ力を養うことが大切だと考えたようです。そのため,人間の感情が表現されている詩を学び,敬意の表現方法である礼を学び,調和が重要な要素となる音楽を学ぶことを重視しました。それによって相手を安心させることができる人に成長でき,その結果,その人が属する社会の秩序が維持され成熟していくと考えたのではないでしょうか。

 孔子が生きたのは社会秩序が崩れた大変な戦乱の時代だったようです。時代は異なりますが,コロナ禍で社会環境が大きく変わってきた現在でも,秩序が保たれなければ私達は安心して生きていくことはできませんよね。私も毎日のルーティンとして「仁」の生き方を目指して努力を重ねていきたいと思っています。

(K.U.)

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